災害ボランティアインタビュー Vol.7-前半 

Photo:Jan Willem van Poortvliet
Photo:Jan Willem van Poortvliet

「明るい被災者の萬ちゃんでーっす」

そうおどけてみせるのは萬代好伸ばんだいよしのぶさん。大勢のボランティアたちをバスで泥だし現場に送迎したり、トラックで土嚢を運んだりと、石巻の復興に大活躍している運転手さんです。特に4月から5月にかけては、ピースボートのボランティアバスの運転をしてくれました。明るく、フレンドリーな性格から、ボランティアたちの人気者です。

運転中の萬代さん Photo浅井美絵
運転中の萬代さん Photo浅井美絵

萬代さんが暮らす石巻市吉野町の自宅のマンションは、1階まで浸水しましたが、家族が住む二階は助かりました。とはいえ、ライフラインが復旧していないため住むことは出来ず、現在も被害の少なかった奥さんの実家で避難生活をしています。また、萬代さんの両親は、被害の大きかった湊地区に住んでいたため家は全壊。避難先の中学校の体育館で、現在も避難所生活を送っています。

3月11日は、新館地区にある仕事場でショベルカーを使っての作業中に地震に合いました。職場はすぐに解散となり、萬代さんは車で自宅へと向かいました。カーラジオは、女川に津波が到達したことを告げていました。

「3時4分に、女川に50cmの第一波が来たと言っていました。そして、最大の津波予測は6mだと言っていたんです。それで私は勝手に、石巻ではまぁせいぜいmくらいだろうなと予測していたんですよ」

萬代さんは、帰宅ルートの日和山に上ってから、そのまま下って家に向かうところでした。ところが、山を下りきる直前のところで、なんと津波が迫ってきたのです。萬代さんの前の車のドライバーは、目前に迫り来る大津波を見て、車を置いて逃げました。萬代さんは、車に乗ったままバックして逃げました。車を降りて山を駆け上る人、バックする萬代さんの車、そして坂を登ってくる津波とで、競争のようだったと言います。

なんとか山に登って逃げきった萬代さんの目に映ったのは、津波に流されていくたくさんの車でした。人が乗ったまま流されていく車もありました。そこで、近い所まで行って、窓から引っ張り出して、なんとか二人を助け出しました。でも、遠くの車に乗っていた人を助けることはできません。流されていく車から鳴り続けていたクラクションの音が、今も萬代さんの耳に響いています。

「ビーッ、ビーッってずっと鳴るんだよ。まるで助けを求めて泣いてるみたいに…」

東北地方には、3月11日の二日前にも大きな地震がきていました。そのときは、津波注意報が出ていましたが、大きな津波は来ませんでした。

「二日前に津波が来なかったことで、今日も来ないだろうと思っていたんだよね。勝手な思い込みが、みんなどこかにあったと思うんだよね…」

日和山山頂から町を臨む Photo:遠藤和秀
日和山山頂から町を臨む Photo:遠藤和秀

萬代さんは私に質問しました。

「『いのちてんでんこ』って知ってるかい」

「てんでんこ」は銘々という意味。地震が起きたら各人がそれぞれ自分の命を守りなさいという、東北の海岸沿いの町に伝わる言葉です。萬代さんの奥さんの、お母さんの実家は岩手県田老町。ここは、明治三陸津波、昭和三陸津波、そしてチリ地震津波を経験して、壊滅的な被害を受けた町です。そして奥さんのおばあさんは、そのたび重なる災害の生存者でした。

萬代さんが結婚の挨拶に行ったとき、おばあさんにこう言われたと言います。

「津波が来たら、あんた、女房や子どもを置いて逃げれるか」

返事に戸惑う萬代さんに、おばあさんはこう言いました。

「一人で逃げれないんだったら、孫は嫁にやれん」

普通であれば「女房・子どもを置いて逃げるような奴には孫を嫁にやれん」となるはずです。ところが、3度の津波を経験して生き延びてきたおばあさんにとって、それは違いました。おばあさんは言いました。

「一人が一人を助けにいけば、津波に飲まれて二人死ぬ。そうやってみんなが死んだら、町が消える。誰が未来につないでいくんだ一人になってでも生き残って、子孫を残していけ」

それが「いのちてんでんこ」の教えでした。津波の本当の怖さを知る、地域のすさまじいまでの言い伝えなのです。しかし、今回はその教えを活かすことができずに、たくさんの命が亡くなってしまいました。萬代さんは身をもって、この教えの意味を知ったと言います。

「地震はまた、必ず起こります。そしたら津波もまた、必ず来ます。だから俺は伝えていくよ。そんなにでっかい津波は来ないだろう、なんて勝手な思い込みで判断したりせずに、すぐに高いところへ逃げろって1分でも1秒でも早く、1cmでも1mmでも高く登れって」

津波で壊滅状態になった女川に、震災の直後に訪れた萬代さん。そこで見た光景が忘れられません。

「自分の子の名前を叫びながら、親が家の跡の瓦礫をひっくり返してずっと探してるんだよ。その親の足や手にはガラスや釘やらが刺さったままだった。あんな光景、二度と見たくねぇんだよ。次に津波が来るときは、みんながすぐに安全な高い所に上って町を見下ろすんだよ。また車も家も流されるだろ。でも、みんな山の上にいてそれを見下ろして、『物はみんな流されちゃったけど、誰一人死ななかったな』って言うんだ。そう言いたいんだよ。そのために、この津波の怖さ、伝えていかなきゃ駄目なんだ」

話しながら、萬代さんの目に涙が光りました。彼は、やってくるボランティアたちにも津波の恐ろしさを伝え続けています。

災害ボランティアインタビューVol.7後半に続く