2017年7月27日(木)朝6時半。11名の中高生が南相馬さくらホールの駐車場に集まりました。
これから11泊12日間の旅を共にする仲間たちと、見送る父兄の皆さんに「行ってきます!」とあいさつをして、仙台空港に向けて出発。
七夕飾りが印象的な仙台空港で、飛行機に乗り込みます。飛行機や海外が初めてというメンバもいます。どきどきの旅が始まります。
2017年7月27日(木)朝6時半。11名の中高生が南相馬さくらホールの駐車場に集まりました。
これから11泊12日間の旅を共にする仲間たちと、見送る父兄の皆さんに「行ってきます!」とあいさつをして、仙台空港に向けて出発。
七夕飾りが印象的な仙台空港で、飛行機に乗り込みます。飛行機や海外が初めてというメンバもいます。どきどきの旅が始まります。
今年も熱い夏がやってきます。
春のあたたかさが心地よい5月31日。福島県南相馬市で、NPO南相馬こどものつばさによる、夏休みプログラムの全体説明会が行われました。
「ピースボート福島子どもプロジェクト」では、集まった小中学生と保護者のみなさんに向けてプログラムの紹介する場をいただき、昨年の参加者4名に感想を発表してもらいました。
来月で、東日本大震災から6年を迎えます。
地震と津波と原発事故の影響で、福島県南相馬市は大きな被害に見舞われました。
多くの市民が避難を余儀なくされました。
卒業や終業式を控えていた子どもたちも例外ではなく、突然の避難所生活が始まりました。
その後も「外で遊べない」、「放射能から身を守らなければいけない」、不自由な子どもたちの様子をみて、立ち上がったのは地元の大人たちでした。
「土にふれ、水にふれ、友達と一緒に自然の中でのびのびさせたい」。
その想いにたくさんの市外の団体も立ち上がり、県外・海外の活動へと大きなうねりとなりました。
3月8日(水)の夜、2011年から「ピースボート福島子どもプロジェクト」の南相馬側パートナーとしてご協力いただいている「南相馬こどものつばさ」の代表・西道典さんを招いた講演会を行います。
これまでプロジェクトを応援してくださった皆様への報告の場であるとともに、6年経った南相馬の現状、そして子どもたちへこれからの支援の形などを一緒に考える機会になればと思っています。
ぜひ、ご参加ください。
●ピースボート勉強会「南相馬のこどもたちの6年」
日時:2017年3月8日(水)19:00~20:30
場所:ピースボートセンターとうきょう
講師:西道典さん(NPO「南相馬こどものつばさ」代表、男山八幅神社宮司)
参加:500円 (要予約)
予約:http://peaceboat.org/18082.html
皆様から温かいご支援をいただいた「福島子どもプロジェクト2016・夏」の活動の記録が完成しました。
2011年の夏休みから始まり、今回で海外では6回目となる海外でのプログラム。「南相馬こどものつばさ」とのパートナーシップで、11名の中学生が東アジア国際交流の船旅に参加しました。旅の舞台となった「PEACE & GREEN BOAT 2016」には、同様に今年4月に地震被害に見舞われた熊本県南阿蘇市の小中学生を招待したほか、韓国からもたくさんの子どもたちが参加していました。様々な背景を持った人と触れ合い、一人一人の多様性を受け入れることの大切さを学ぶ9日間になりました。
ご支援、ご協力いただいた皆様への感謝とともに、活動の記録をご紹介します。
▼「福島子どもプロジェクト2016・夏」活動の記録(PDF/1.18MB)
http://pbv.or.jp/download/other/2016 Fukushima Youth Report.pdf
2016年8月6日 最終日
博多港に帰ってきました。今日で日韓クルーズは最後を迎えます。
楽しかった9日間を終え、南相馬市に帰ります。
朝から中学生たちは少しそわそわと落ち着かない様子です。
昨日も荷物の整理や船内の交流で仲良くなった韓国の友だちと話したりと思い思いに過ごしました。
今日は最後の寄港地!長崎です。
今回のツアーは「日韓で考える「平和」への道」です。
今年は戦後71年、4日後の8月9日は長崎への原爆投下の日です。福島子どもプロジェクトでも、沖縄に引き続き長崎でも平和を考えます。
このツアーは日韓共催のもので、約30人参加者中で半分が韓国人です。日本人と韓国人がそれぞれ半分いるということで、日韓で歴史の被害と加害に関しても考えていきます。
まず、最初に訪れるのは、長崎原爆資料館。
そこで、被爆者の森口正彦さんとガイドの萩谷さんが案内してくれます。
萩谷さんは被爆者ではありませんが、小学校のときの戦争体験からガイドをしています。
当時、「戦争はしたくない」、「兵隊になってもなんとか生き延びたい」と思っていましたが、それを口に出すと「非国民」とされてしまいました。そして、非国民と言われないために軍国少年になっていきました。
原爆で亡くなった方の命を語り継いできたいという想いで、今回は案内をしていただきます。
原爆資料館のあとは、平和公園や爆心地公園を訪れます。
「当時にタイムスリップした気持ちで話を聞いてください。」
萩谷さんは、私たちに呼びかけてから案内をはじめました。
中学生たちも、真剣な面持ちで話を聞きます。
引率者である内田さんから質問があがりました。
「当時の放射能はどのように除去していったのですか?」
福島も原発事故により、放射能の影響があります。
スタッフの1人は言いました。
「当時はそんな放射能の知識はもちろん、除去することも考えていなかった。なので、放置か、上から土を重ねるだけです。」という言葉。
その後、爆心地公園近くの地層を見ると当時の土を上に重ねた地層が見られました。
土の間から、当時のお茶碗などがまだ見えます。
また、長崎市内にある浦上天主堂にも行きました。ここは、爆心地から500メートルにあり、原爆のさく裂により、建物のほとんどが破壊され、中にいた全員が亡くなった場所です。浦上天主堂裏に、当時の爆風で崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼の一つ(重量約50トン)が今でも残っています。
想像以上の大きさに、子どもたちも驚きの声を上げました。「こんなのが崩れたのか…!」「もし、俺たちがここにいたら、、、。」
その後、お昼は和泉屋で長崎名物「皿うどん」を食べました。
腹ごしらえをした後は、被爆者の森口さんと住吉トンネルに向かいます。
住吉トンネルは空襲に備え、山腹をくりぬき造られた「三菱兵器住吉トンネル工場」です。昼夜兼行で航空魚雷の部品を13~16歳の学徒動員された若者が作っていた場所です。そして、トンネルを作ったのは、日本に強制連行された、朝鮮人(現在の韓国と北朝鮮)です。無理矢理つれて来られた朝鮮の人々は、故郷も名前も言葉も文化も奪われてトンネルを作りました。
トンネルは爆心地から2.3kmほどの場所にあります。
今回は特別のトンネルの中も見せていただきました。滅多に入れない場所ということで、子どもたちは、緊張と興奮の入り交じった面持で中に入りました。暑い外に比べ、中はひんやりと涼しかったです。当時はトンネルを防空壕替わりに使い、原爆投下後は避難所となっていました。
当時トンネル内で起きたこと、被爆者の森口さんが体験した事を話してくれました。
福島の中学生たちと同年代の子たちが人を殺すための爆弾を作っていた。
常に空襲の恐怖の中にいた。(実際、原爆が落ちるまでの間、5回空襲があったとのこと。)
「自分たちの今の時代が当たり前ではないということ、そして、こういった証言を聞くことが過去の事実を直視すること、被害があれば、加害もある。」という森口さんの力強い言葉に、中学生たちは真剣な眼差しでじっと聞いていました。
森口さんと分かれた後、岡まさはる記念長崎平和資料館へ行きました。
ここは、戦前・戦中・戦後の日本が朝鮮に対して行ってきた加害に関して歴史資料が置いてあります。
原爆が落とされた日本は被害者です。しかし、被害者である前に加害者である事実も忘れてはいけないということを学びました。
最後は意見交換会が行われました。大人チームと子どもチームに分かれます。今回お話をしてくれるのは、被爆2世の坂口博子さんと高校生平和大使、「一万人署名活動」をしている高校生たちです。
坂口さんは、母親のお腹の中に居るときに被爆をしました。
また、強制連行で長崎につれて来られて、被爆した韓国人の人権回復の活動も紹介してくれました。
歳が近い高校生たちの活動(核兵器廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名活動)は福島の子どもたちにとって、とても興味深かったようです。駅前などで、週1回2時間ほどの署名活動を行い、500件もの署名を集めています。
また、韓国やフィリピンへ行き、現地の高校生たちや、韓国の被爆者との交流を行っています。
そこでも署名活動を行い、短時間で1060件もの署名が集まりました。
また、平和大使の活動に関しては、スイスの国連本部で、平和の大切さを訴えるため英語でスピーチをしたという話をしてくれました。平和大使は全国にいて、南相馬市からも2013年に女性の平和大使がいたという話に、子どもたちも驚いた様子でした。
発表終了後、2名が感想を言いました。
「国連などで今の世界がひっくり返るようなスピーチをしてこれからも活動を頑張ってほしいとおもいました。」(山崎達之さん)
「同年代の人が海外の人と活躍していることを知りました。この知ったことを福島に戻ってみんなに伝えていきたいと思いました。」(青田瑞生さん)
今回のツアーで中学生たちが平和を考えるきっかけになったかと思います。
2016年8月4日 洋上最終日
子どもたちは朝から少し緊張な面持。なぜかというと、今日は2つも大きな発表があるからです、
1つは夕方に行う、南相馬の紹介企画。
本当に少ない時間で自分たちの地元がどんなところなのかを紹介する企画を考えてきました。でも、毎日たくさんのイベントと寄港地でのツアーなどで、時間ない中で行うので準備で大忙し。さっそく誰がどの部分を紹介するのか話し合いが行われます。
もう1つの大きな発表とは、ソーラン節です。一生懸命練習してきたソーラン節の本番が本日の日韓文化交流イベントです。今まで仲良くなったり、優しく接してくれて韓国のお友達に喜んでもらうために最後の追い込みで練習します。
日韓文化交流が始まります。
事前にフェイスメイクを行い、準備を行います。
あちらこちらで「緊張するね~」とか「まだメイクできていない子たちいる?」「私メイク変じゃないかな?」などお互いを確認する声が聞こえます。
いよいよ本番。
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2016年8月2日 洋上2日目
朝のHRを終え、本日の最初の企画は「青少年交流」という日韓交流イベントです。
テーマは「環境」。ワークショップ形式で東アジア平和マップを作ります。
シベリア・満州・中国・朝鮮半島・日本など8つの地域に分かれます。
その分かれた地域にあるような動物や植物の絵を描き、2mほどある地図が描かれているバナーに貼り付け、地図を作成していきます。
今回進行をしてくれた、彫刻家でもあるキム・ボンジュンさん
キムさんは、完成した地図を見ながら、コメントしました。
「この地図の中には、絶滅してしまった動物たちも多くいます。絶滅してしまった動物たちはもう会うことはできません。」
「人間は一部分のものしか目に入らないけど、視野を広げて全体地球を愛していきましょう。」
2016年8月3日
沖縄の那覇に寄港しました。
ピッカピカの快晴!そして、あっつ~い!
今回は、福島・熊本の子どもプロジェクトの中学生向けの特別なツアーです。
今日、ガイドをしていただくのは、大田光さん、27歳です。
普段は高校生たちに沖縄戦争のことについて語り継いでいる方です。
まずは、ひめゆりの塔、沖縄県平和祈念資料館へ行きます。
ひめゆり学徒隊や平和記念公園では写真をもとに詳しく説明してくれました。
当時、大田昌秀知事が「人々が生きていた証を残したい」という想いで県の事業の一環として1995年に設立されたものです。ガイドの大田さんのお知り合いの山田さんの友人(宮田辰夫さん)の名が礎の刻まれていて、戦争当時の山田さん・宮さんの生活や戦場体験について聞きました。
次にお昼です。
沖縄の名物、沖縄そばやゴーヤーチャンプルーのランチでした。
初めての沖縄料理に、みな舌鼓を打ちました!
ご飯を食べ終わったあとは、糸満(いとまん)市米須(こめす)にある魂魄(こんぱく)の塔に行きます。
魂魄(こんぱく)とは、さまよう魂を慰める意味があります。沖縄戦の激戦地となった南部、特に米須では、追い詰められた住民が全滅した場所です。
戦後、米軍占領下、農作業のため米須に訪れた真和志(まわしし)村民が見たのは、髪や皮膚が付着したままの遺骨が散乱している状態でした。開墾できないほど掘っても掘っても遺骨・・・という状況に、米軍も遺骨収集を許可し、真和志村民が遺骨を集め石などを被せ、作られた墓が魂魄の塔です。
その後、海岸線を東へすすみ、「摩文仁の丘」がある「平和祈念公園」へ向かいました。
沖縄戦の最大激戦地で、終焉地でもあります。沖縄戦の犠牲者の出身の都道府県ごとに碑が立っています。
戦争で亡くなられた方の名前1人1人の名前が刻まれており、母・娘・息子も刻まれています。亡くなった方1人1人の生きてきたころの様子も教えてくれました。
実際に亡くなられた方の名前を見て、その方の人生を考えて、もっとやりたいことがあっただろうにそこで戦争の悲惨さについて知ることができたようです。
またそのまま、米須海岸へ行きました。
海は、熊本・福島ともに、地元にはない海のきれいさで楽しそう。
しかし、そんなきれいな海の米須海岸は、戦後、米須海岸に遺骨がたくさん落ちていたそう。
「とってもきれいなところだったので、見るのがとてもつらかったです。」
きれいな海で足をつけて気持ちいい半面、この海で起きたいろいろな歴史を思い浮かべたよう。
今日1日を通して平和について、一般の方が戦争に巻き込まれ悲しい運命をたどった話を聞いていきました。大田さんの話の中には彼女のお知り合いである山田さんはじめ、体験者の方の証言や実体験が具体的に盛り込まれていて、戦争を経験していない私たちにもその悲惨さをリアルに想像させてくれるものでした。
「今日のことを家族と話をしてみてください。」最後に、大田さんから提案がありました。
<子どもたちの感想>
・「戦争こわいと思った」
・「宮地さん(当時教師になりたいと切望し徴兵され、夢が叶わなかった人)の望んだ平和な社会を生きているということを実感した」
・「一家全滅してしまった家族のこと、石垣島から教師を目指して沖縄に来たはずが、戦争に兵士として使われ、命を落としてしまい、夢をかなえられなかった男子 生徒のことなど私たちには想像もできない辛い時代を知ることができ、社会の教科書には書いていないことを学ぶことができました。この旅で、たくさんの関係のない人を巻き込む戦争がどんなにいけないことかをより感じるようになりました。」(青田七海さん)
2016年8月1日 上海
上海にやってきました。
子どもたちは、寄港地でのツアーにも少し慣れた様子で集合場所にやってきました。
今日のツアーは「都心の生態公園、崇明島へ」というものです。
崇明島は台湾と海南島に続く中国で3番目に大きい島で、鳥類の自然保護区に指定され、2002年には湿地の保存に関する国際条約であるラムサール条約登録地となりました。子どもたちはこの自然いっぱいの場所で、フェリー、自転車、電気自動車に乗り、東灘湿地公園を探索します。
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