【6日目】沖縄で考える 私たちができること

2016年8月3日

沖縄の那覇に寄港しました。
ピッカピカの快晴!そして、あっつ~い!

今回は、福島・熊本の子どもプロジェクトの中学生向けの特別なツアーです。
今日、ガイドをしていただくのは、大田光さん、27歳です。
普段は高校生たちに沖縄戦争のことについて語り継いでいる方です。

まずは、ひめゆりの塔、沖縄県平和祈念資料館へ行きます。

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ひめゆり学徒隊や平和記念公園では写真をもとに詳しく説明してくれました。
当時、大田昌秀知事が「人々が生きていた証を残したい」という想いで県の事業の一環として1995年に設立されたものです。ガイドの大田さんのお知り合いの山田さんの友人(宮田辰夫さん)の名が礎の刻まれていて、戦争当時の山田さん・宮さんの生活や戦場体験について聞きました。

次にお昼です。
沖縄の名物、沖縄そばやゴーヤーチャンプルーのランチでした。
初めての沖縄料理に、みな舌鼓を打ちました!

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ご飯を食べ終わったあとは、糸満(いとまん)市米須(こめす)にある魂魄(こんぱく)の塔に行きます。
魂魄(こんぱく)とは、さまよう魂を慰める意味があります。沖縄戦の激戦地となった南部、特に米須では、追い詰められた住民が全滅した場所です。

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戦後、米軍占領下、農作業のため米須に訪れた真和志(まわしし)村民が見たのは、髪や皮膚が付着したままの遺骨が散乱している状態でした。開墾できないほど掘っても掘っても遺骨・・・という状況に、米軍も遺骨収集を許可し、真和志村民が遺骨を集め石などを被せ、作られた墓が魂魄の塔です。


その後、海岸線を東へすすみ、「摩文仁の丘」がある「平和祈念公園」へ向かいました。
沖縄戦の最大激戦地で、終焉地でもあります。沖縄戦の犠牲者の出身の都道府県ごとに碑が立っています。

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戦争で亡くなられた方の名前1人1人の名前が刻まれており、母・娘・息子も刻まれています。亡くなった方1人1人の生きてきたころの様子も教えてくれました。

実際に亡くなられた方の名前を見て、その方の人生を考えて、もっとやりたいことがあっただろうにそこで戦争の悲惨さについて知ることができたようです。

またそのまま、米須海岸へ行きました。

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海は、熊本・福島ともに、地元にはない海のきれいさで楽しそう。
しかし、そんなきれいな海の米須海岸は、戦後、米須海岸に遺骨がたくさん落ちていたそう。

「とってもきれいなところだったので、見るのがとてもつらかったです。」
きれいな海で足をつけて気持ちいい半面、この海で起きたいろいろな歴史を思い浮かべたよう。

今日1日を通して平和について、一般の方が戦争に巻き込まれ悲しい運命をたどった話を聞いていきました。大田さんの話の中には彼女のお知り合いである山田さんはじめ、体験者の方の証言や実体験が具体的に盛り込まれていて、戦争を経験していない私たちにもその悲惨さをリアルに想像させてくれるものでした。

「今日のことを家族と話をしてみてください。」最後に、大田さんから提案がありました。

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<子どもたちの感想>
・「戦争こわいと思った」
・「宮地さん(当時教師になりたいと切望し徴兵され、夢が叶わなかった人)の望んだ平和な社会を生きているということを実感した」
・「一家全滅してしまった家族のこと、石垣島から教師を目指して沖縄に来たはずが、戦争に兵士として使われ、命を落としてしまい、夢をかなえられなかった男子 生徒のことなど私たちには想像もできない辛い時代を知ることができ、社会の教科書には書いていないことを学ぶことができました。この旅で、たくさんの関係のない人を巻き込む戦争がどんなにいけないことかをより感じるようになりました。」(青田七海さん)

 

 

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