スタッフインタビュー 松村真澄(前半)

石巻での初期ボランティア受け入れ体制づくり、ラテンアメリカ各国からの支援コーディネート、そして現在は福島子どもプロジェクト「福島×ベネズエラ×ロサンゼルス音楽交流プログラム」の担当と、多彩な動きで活動を支えるスタッフの松村真澄をインタビュー。前後半でお届けします。


松村真澄。愛称は「まっすん」

 

Q:
東日本大震災以降も様々な場面で活動しているようですが、元々ピースボートに関わり始めたきっかけは?

A:
2001年12月~2002年3月にかけて、スペイン語のボランティア通訳として、ピースボートの地球一周クルーズに参加したのが初めです。スペインの芸術文化に憧れて旅行に出かけ、そのまま人や食・文化にはまってしまって気付けば1年ぐらい暮らしていました。帰国したタイミングで地球一周の通訳募集を知って、応募したんです。

 

Q:
その旅の中で、ラテンアメリカの国々に出会った?

A:
そうですね。同じスペイン語圏ですが、生きてきた歴史や人も違う。すっかりラテンアメリカに魅了されました。

 

Q:魅了されやすいですね(笑)

A:
そうかなぁ(笑) 2004年には、ピースボートのスタッフになって、キューバやベネズエラなど、ラテンアメリカ担当として働き始めました。もちろん、他にも色んなプロジェクトや国にも関わりましたが。

 

Q:
それで、去年の3月・・・

A:
実はベネズエラでも前の年から続く大雨の影響で、災害被害がありました。ベネズエラ大使館からも、支援の協力要請をいただいていて、そんな準備をしているタイミングでした。でも、とにかく東北でも「何とかしなきゃ!」と、3月21日だったと思いますが、石巻のスタッフに合流しました。

 


宮城県石巻市。緊急支援の先遣・準備スタッフとして現地入り。

 

 

「数日後には、東京から応援のボランティアが駆けつけるから、その準備を」ということで、生活環境の確認や活動別のチーム分けなどの体制づくりに入りました。元々、ラテンアメリカの国々では、約1,000人の船旅の参加者が寄港する前にバスの手配から、ツアー別に現地担当者と打合せたりなどの仕事をしていたので、そのノウハウをフル活用して災害支援に応用したイメージです。

そのタイミングでは、女性が私だけだったので、トイレなどの生活面もそうだし、物資配布活動にしても女性の被災者の方に対しては、私の方がスムーズだった場面が色々とあったと思います。


昨年の「こどもの日」は、映画祭や遊び場づくり。子どもたちと遊ぶ。

 

Q:
そうですね。現場のリーダーは必要だし、柔軟性も求められますが、一人ではどうしてもできること、得意なことに限界がありますよね。一人ひとりが責任持って、役割分担できるチームがあることで、変化の激しい現場にも合わせられるんだと思います。

A:
ベネズエラからは、水や保存食・医療機器など、たくさんの物資がチャーター便で届きました。イシカワ駐日大使自らも石巻を訪問して、避難所で物資を渡したりとボランティアで支援してくれました。当時は外務省だけでは各国からの支援を受け切れず、ピースボートが仲介でお手伝いすることになった物資もたくさんありました。

海外からの物資なので、物によっては日本語訳を付けていかなきゃいけなかったり、使用方法が日本と違うものもあるので、その支援をちゃんと被災者に届く形にするまでには苦労はあります。でも、やっぱり本当に有難いことですから。ベネズエラの場合は、自分の国が大雨で被害が出ている状況の中でかき集めてくれた物資だったし、やっぱり「なんとかしなきゃ!」って。


石巻の湊小学校避難所を訪問したラテンアメリカの駐日大使たち。

 

Q:
石巻には、いつ頃まで?

A:
3月後半から約1ヶ月半ぐらいだったと思うので、ゴールデンウィーク過ぎぐらいまでだったと思います。そこからも何回か足を運んではいますが、少しずつ現場を預けていくことも、長期での支援体制には必要なことだと、船旅やラテンアメリカ関連の業務に戻りました。

今年の3月には、船がキューバを寄港しましたが、キューバがカトリーナ級の巨大ハリケーンの通り道にも関わらず、ほとんど犠牲者を出さない防災大国だと知り、そのスタディーツアーなども企画しました。東北の震災で活動した経験がなければ、そのまま知らずに終わっていたかもしれませんね。

 

 

(後半につづく)

 

 

photo by Yoshinori Ueno, Shunya Mizumoto

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