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伝説の壁新聞、一般に公開!~石巻ニューゼOPEN!~

2012/11/05

こんにちは。記者ボランティアのヨッシーです。体調は戻りましたが、相変わらず咳が止まりません。

ピースボートセンターいしのまき(以下ピーセン)には、毎日のように宅配便がやってきます。大体は業務関係の物なのですが、中にはかつてボランティアとして参加した人などから差し入れが届くこともあります。そして本日、どでかい物がやってまいりました。



新品のプリンター!もはや個人の差し入れのレベルを超えています。気になる気前のいい差出人は、この人でした!



やまちゃん!先日のブログ「短期ボランティアがゆく!~前編~」で紹介した彼です。やるやるとは聞いていたけど、まさかこれ程とは…。ちなみに画像は気だるそうにラジオ体操をしている所です。

同封されていた手紙には「少しでも円滑な活動ができるように微力ながらプリンター一式を支援させて頂きます」とありました。やまちゃん、いい奴だったんだね…。寝顔の写真を勝手にアップしてごめんね。ちびっこギャング達をやまちゃんにけしかけたのは実はヨッシーだったんだ。ごめんね。

さあテンションも上がったところで本題です。今日は、まずこの画像を見てください。



これは石巻の地域紙「石巻日日新聞」が震災時に発行した通称「壁新聞」です。津波で新聞を印刷する輪転機が水没して使えなくなった際、地域に情報を届けるために思いついたのが手書きで記事を書き、避難所に張り出す壁新聞でした。この壁新聞の発行は国際的にも評価が高く、国際新聞編集者協会の特別表彰など様々な賞を受賞したほか、その制作過程は本やドラマにもなったほどです。

これまで新聞は石巻日日新聞の本社に保管されていましたが、このたび一般に公開されることになりました。ヨッシーもボランティアとは言え、記者を名乗る以上はぜひ見たいと思っていたのです。ヨッシーの滞在に合わせるようなタイミングでの公開とは、神様、憎い演出をしてくれるじゃありませんか。あとは咳の方も早めに治してもらえると嬉しいです。ゴホゴホ。

では早速、壁新聞が展示されている施設に向かいましょう。



建物はピースボートセンターいしのまきから徒歩2分、石巻市中央地区にありました。名称は「石巻ニューゼ」。「ニュース」とフランス語で博物館を表す「ミュゼ」を掛け合わせたとのことです。この施設、今年が石巻日日新聞の創刊100周年となるのを記念して造られ、11月1日にオープンしました。

石巻ニューゼを中央地区に建てたのには理由があります。旧北上川のほとりに位置するこの地域は、かつて海運物流の拠点として栄えましたが、駅前の発展や郊外店の進出などで近頃は元気がありません。さらに津波で2m以上が浸水し、とある民間調査によると被災後に同じ場所で再開した店舗は9月末で35%程度に留まっているということです。石巻日日新聞の本社が以前この地域にあった事もあり、何とか地域に人の流れを作ろうと、この場所でのオープンを決めたそうです。



中はこんな感じです。オープンから間もないとあって、大勢の人で賑わっていました。2階はカフェ(夜はバー)になっており、展示スペースだけでなく交流場所としても活用できそうです。おっと壁新聞が奥に見えていますが、まずは他の展示物を先に見ていきましょう。取って置きは最後に残すのがヨッシーの流儀。ケーキのイチゴも最後まで残します。夏休みの宿題も最後まで残します。



これは石巻市の歴史を紹介するコーナー。市の年表や、石巻日日新聞に掲載された昔の石巻の写真が展示されています。石巻に根ざして100年、その重みを感じさせますね。



こちらは震災当時に撮影された写真のコーナーです。東日本大震災で最大の犠牲者が出た石巻市ですが、現在、震災の写真を常設で展示する施設は殆どないということです。発災当時の事が市民の目に触れる機会は徐々に少なくなってきており、こうした展示は震災の風化防止にも役立ちそうです。



さて、いよいよやってきた壁新聞のコーナーです。石巻日日新聞では震災翌日の3月12日から17日までの6日間、避難所に壁新聞を張り出し続けました。掲げられているのは、その6日分、全種類です。



これは震災翌日の3月12日に発行された、第1号の壁新聞。お世辞にも読みやすいとは言えない手書きの文字。定規を当てていないため歪んだ線の数々。紙面が限られているため情報量もけして多いとは言えません。けれども避難所に張り出すと、すぐさま人だかりができたという事です。あの時、被災した人々が何より知りたがったのは地域の情報でした。彼らは地域紙としての役割を全うしたのでした。



壁新聞の制作風景の写真もありました。届けた新聞は6ヶ所の避難所に1部ずつ、1日あたり6部を発行していました。コピーも使えないので、書き写すのも手作業でした。社員の中には身内の安否もわからない人もおり、厳しい状況での作業だったといいます。

新聞制作を諦めず、壁新聞という形をとってまで発行を続けた彼ら。その使命感はどこから来ていたのでしょうか。当時の責任者に聞いてみました。



石巻ニューゼの武内宏之館長です。震災当時は報道部長として取材指揮を執っていました。武内さんは「地域が非常時である時に新聞を出せないのでは地域紙の存在意義がない」と考えていたといいます。新聞社にとって新聞は作品であると同時に商品です。手書きで、発行部数も記事の掲載量も限られる壁新聞は、けして新聞社が望んだ発行方法ではありません。それでも限られた状況で何ができるかを考え、彼らは行動を起こしたのです。

壁新聞の発行は賞賛される事ではなく、地域の為に地元の新聞社が行ったごく当たり前の事。そんな風に言う武内さんからは、石巻と共に100年に渡って歩んできた地元新聞社の歴史の重みと地域への深い想いを感じました。



壁新聞の脇には、当時、取材にあたった記者が使っていた道具の数々が展示されていました。焼け焦げた腕章、水でふやけたメモ帳。火から逃げながら、津波に流されながら取材を続けた記者もいたということです。

どんなに深刻な事態に陥っても諦めない。目の前の事から逃げ出さない。できる事がある限り全力でやり続ける。石巻ニューゼに展示された震災当時の取材の過酷さを物語る数々の資料が、自分が忘れかけていた大切な事を思い起こさせてくれました。

 
ピースボートセンターいしのまき
記者ボランティア ヨッシー

 

石巻ニューゼ

住所 :宮城県石巻市中央2-8-2 A棟1B (アイトピア通り)
電話 :0225-98-7323
営業時間:10:00~17:00(入場無料・月曜定休)
     2Fバーは19:00~24:00(日曜・祝日・月曜定休)