【8日目】原爆と長崎と平和。 

今日は最後の寄港地!長崎です。
今回のツアーは「日韓で考える「平和」への道」です。
今年は戦後71年、4日後の8月9日は長崎への原爆投下の日です。福島子どもプロジェクトでも、沖縄に引き続き長崎でも平和を考えます。
このツアーは日韓共催のもので、約30人参加者中で半分が韓国人です。日本人と韓国人がそれぞれ半分いるということで、日韓で歴史の被害と加害に関しても考えていきます。
まず、最初に訪れるのは、長崎原爆資料館。
そこで、被爆者の森口正彦さんとガイドの萩谷さんが案内してくれます。

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萩谷さんは被爆者ではありませんが、小学校のときの戦争体験からガイドをしています。
当時、「戦争はしたくない」、「兵隊になってもなんとか生き延びたい」と思っていましたが、それを口に出すと「非国民」とされてしまいました。そして、非国民と言われないために軍国少年になっていきました。

原爆で亡くなった方の命を語り継いできたいという想いで、今回は案内をしていただきます。

原爆資料館のあとは、平和公園や爆心地公園を訪れます。
「当時にタイムスリップした気持ちで話を聞いてください。」
萩谷さんは、私たちに呼びかけてから案内をはじめました。
中学生たちも、真剣な面持ちで話を聞きます。

爆心地公園

<爆心地公園>

引率者である内田さんから質問があがりました。
「当時の放射能はどのように除去していったのですか?」
福島も原発事故により、放射能の影響があります。

スタッフの1人は言いました。
「当時はそんな放射能の知識はもちろん、除去することも考えていなかった。なので、放置か、上から土を重ねるだけです。」という言葉。

その後、爆心地公園近くの地層を見ると当時の土を上に重ねた地層が見られました。
土の間から、当時のお茶碗などがまだ見えます。

また、長崎市内にある浦上天主堂にも行きました。ここは、爆心地から500メートルにあり、原爆のさく裂により、建物のほとんどが破壊され、中にいた全員が亡くなった場所です。浦上天主堂裏に、当時の爆風で崩れ落ちた浦上天主堂の鐘楼の一つ(重量約50トン)が今でも残っています。
想像以上の大きさに、子どもたちも驚きの声を上げました。「こんなのが崩れたのか…!」「もし、俺たちがここにいたら、、、。」

その後、お昼は和泉屋で長崎名物「皿うどん」を食べました。

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腹ごしらえをした後は、被爆者の森口さんと住吉トンネルに向かいます。

住吉トンネルは空襲に備え、山腹をくりぬき造られた「三菱兵器住吉トンネル工場」です。昼夜兼行で航空魚雷の部品を13~16歳の学徒動員された若者が作っていた場所です。そして、トンネルを作ったのは、日本に強制連行された、朝鮮人(現在の韓国と北朝鮮)です。無理矢理つれて来られた朝鮮の人々は、故郷も名前も言葉も文化も奪われてトンネルを作りました。

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トンネルは爆心地から2.3kmほどの場所にあります。
今回は特別のトンネルの中も見せていただきました。滅多に入れない場所ということで、子どもたちは、緊張と興奮の入り交じった面持で中に入りました。暑い外に比べ、中はひんやりと涼しかったです。当時はトンネルを防空壕替わりに使い、原爆投下後は避難所となっていました。

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当時トンネル内で起きたこと、被爆者の森口さんが体験した事を話してくれました。
福島の中学生たちと同年代の子たちが人を殺すための爆弾を作っていた。
常に空襲の恐怖の中にいた。(実際、原爆が落ちるまでの間、5回空襲があったとのこと。)
「自分たちの今の時代が当たり前ではないということ、そして、こういった証言を聞くことが過去の事実を直視すること、被害があれば、加害もある。」という森口さんの力強い言葉に、中学生たちは真剣な眼差しでじっと聞いていました。

森口さんと分かれた後、岡まさはる記念長崎平和資料館へ行きました。

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ここは、戦前・戦中・戦後の日本が朝鮮に対して行ってきた加害に関して歴史資料が置いてあります。
原爆が落とされた日本は被害者です。しかし、被害者である前に加害者である事実も忘れてはいけないということを学びました。

最後は意見交換会が行われました。大人チームと子どもチームに分かれます。今回お話をしてくれるのは、被爆2世の坂口博子さんと高校生平和大使、「一万人署名活動」をしている高校生たちです。

坂口さんは、母親のお腹の中に居るときに被爆をしました。
また、強制連行で長崎につれて来られて、被爆した韓国人の人権回復の活動も紹介してくれました。

歳が近い高校生たちの活動(核兵器廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名活動)は福島の子どもたちにとって、とても興味深かったようです。駅前などで、週1回2時間ほどの署名活動を行い、500件もの署名を集めています。
また、韓国やフィリピンへ行き、現地の高校生たちや、韓国の被爆者との交流を行っています。
そこでも署名活動を行い、短時間で1060件もの署名が集まりました。

また、平和大使の活動に関しては、スイスの国連本部で、平和の大切さを訴えるため英語でスピーチをしたという話をしてくれました。平和大使は全国にいて、南相馬市からも2013年に女性の平和大使がいたという話に、子どもたちも驚いた様子でした。

発表終了後、2名が感想を言いました。

「国連などで今の世界がひっくり返るようなスピーチをしてこれからも活動を頑張ってほしいとおもいました。」(山崎達之さん)
「同年代の人が海外の人と活躍していることを知りました。この知ったことを福島に戻ってみんなに伝えていきたいと思いました。」(青田瑞生さん)

今回のツアーで中学生たちが平和を考えるきっかけになったかと思います。

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