ボランティア・インタビュー  Vol.10

「東北各地にも行きましたが、“いま自分のいる場所でできることもきっとあるはず”と、東京での後方支援に関わったのが、僕のボランティアの原点です。その気持ちは、いまも変わっていないつもりです」


安倍雄大(あんばい ゆうひろ)さん

岩手県出身、現在は東京在住。東北三県それぞれでボランティアに参加。PBV東京事務局でもボランティアを継続中。

 

東日本大震災の発生から1年半が過ぎ、これまで被災地での活動に参加してくれたボランティアも、今後の東北の関わりについて模索している人も多いと思います。今回インタビューした安倍さんも、その一人。ボランティアを続ける理由やきっかけなどを話してくれました。

 

Q:
ボランティアに関わるようになったきっかけを教えてください。

A:
出身が岩手ということもあり、震災当初はとにかく現地に行って役に立ちたい!という気持ちでした。ただ仕事もあってすぐには駆けつけられず、もどかしくて。そんな時、ラジオで岩手の人が『それぞれの人が【いま】を追求してください』と言っているのを聞きました。被災地には仕事したくてもできない、学校に行きたくても行けない人もいる。優しくて、深い言葉だなぁと。それで、まずは僕も東京でできることをやろうと思って、ピースボートの説明会に来ました。それから、仕事の合い間を縫って、ボランティアバスの送り出しや電話の応対などの後方支援に関わるようになったといういきさつです。

 

Q:
その後、昨年5月にap bank Fund for Japan のボランティアとして石巻に行ったのがきっかけで、東北各地にも足を運ぶようになったんですね?

A:
毎回短い期間ですが、宮古、大船渡、陸前高田、南三陸、南相馬、いわきなどでボランティアをしました。後方支援にも関わっていたおかげで、ボランティアに行く人、コーディネートするボランティア団体の人、現地で受け入れてくれる地元の方々、寄付や物資の提供を含めそれを後ろから支える人、様々な人がいて現場の支援があるんだということを知りました。

 

Q:
今年に入ってからは、知り合ったボランティア同士で、岩手の幼稚園を訪問したり、映画の上映会を企画したりと、新しい活動も行っているそうですが。

A:
自分自身もそうですが、東北の現場のことを多くの人に知ってもらうことに意味があると思っています。けれど、ボランティアで活動しているからということもあるんですが、生々しい被災現場で写真を撮ったりすることには抵抗があって。だから、僕にはその「記録する」「伝える」という活動をやってらっしゃる監督さんや代表の方にお願いして、これまでに2回『LIGHT UP NIPPON』、『石巻市立湊小学校避難所』の自主上映をお手伝いさせてもらいました。ボランティア仲間はもちろんですが、会社や学生時代の知人・友人らが参加してくれたりすると、ホントにやって良かったなと思います。

 

Q:
これからの予定は?

A:
自主上映会も、先日ひとつ終えたばかりで、まだ次を考えてるわけじゃないんです。仕事もやりながらなので、そんなにたくさんもできないし。それでも、長く関わっていくことも大事だと思うので、背伸びし過ぎず、東北の現地ボランティアも、東京でのボランティアも続けていければと思っています。

Q:
ボランティアは、誰かに強制されてやるものじゃないですしね。長く東北の復興に関わっていくには「背伸びし過ぎず」とか「自分らしい内容で」といった工夫というか、自然体というか、それも大事だと思いました。安倍さん、ありがとうございました。