防災の日イベント・レポート(前半)

9月1日、PBVではトークイベント「“ひとを助ける。自分を守る” 災害ボランティアの全国ネットワークにむけて」を開催しました。

会場となった角筈区民ホール(東京・新宿)には、災害ボランティア経験者、支援団体のスタッフ・職員の方々など約130名が集まり、阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめ、水害、竜巻などの様々な被災現場での緊急支援に関する意見交換が行われました。また、この日から始まった「災害ボランティア検定」など、これから全国的に災害ボランティアの普及を進めるためのプロジェクトについても発表しました。

 

第1部『宮城県北部地震、東日本大震災、台風15号を振り返る』では、「自分の体験をどのようにして後世に伝えていくかを考えていくのが重要だから」と、本当にお忙しい中、宮城県石巻市で割烹・小料理屋「八幡家」の女将・阿部紀代子さんが日帰りで駆けつけてくださいました。

阿部紀代子さん。「八幡家」は、津波で1階部分が泥まみれ、屋根が抜けた場所もありましたが、今年7月に営業を再開しました。

阿部さんは、東日本大震災の発災時を「自分は大切な肉親と一緒に居られたことが救いだった」と振り返り、そこから商店街の方々が集まって物資の配布や情報交換を始め、地元の方々の中心として、外から応援に来たボランティアとの接点としてご尽力されました。外から応援に来たボランティアに対するコメントや震災後に見舞われた台風被害での体験など、被災された立場でしか分からない貴重なお話をいただくことができました。

 

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第2部の「ボランティア体験談」では、炊き出しや避難所での女性支援などの異なる活動分野から、そして異なる災害の緊急支援に関わった5名による報告とディスカッションを行いました。専門的な知見や、被災現場だけでない後方支援の大切さにも話が及ぶなど、バラエティー豊かな話題が飛び交いました。

 

東日本大震災では、調理師の経験も活かし、長くPBVの炊き出し支援を支えた北村和美。現在は、仮設住宅入居者支援を担当しています。最大で1,500食の食事を作り続けた当時、「おいしいものを食べて不幸になる人はいない」とメニューや栄養価、高齢者や子どもでも食べやすい調理方法などを工夫して提供していたと語りました。

 

岩手県の陸前高田などの避難所を回りながら、東日本大震災後の被災地のおける性被害やボランティアの安全を呼びかける活動を行った山本潤さん(女性の健康と安全のための支援教育センター運営委員/看護師)。「特に災害で混乱している現場では、ボランティアにいく女性も被害にあう可能性がある」と、ケガや事故以外にも、性的安全にも配慮した環境をみんなでつくれるよう取り組んでいく必要があるとコメントをいただきました。

 

「あらゆる支援において、後方支援はとても重要だ」と話した関根正孝さん。新潟の豪雪被害では、先遣隊に交じり小千谷市へ。緊急支援の立ち上げに関わってからは、支援が継続できるよう、東京に戻って街頭募金の先頭に立ちました。現在も、PBVの事務局ボランティアのまとめ役として活動しているなど、注目されやすい被災現場だけでない視点について話してくれました。

 

中村真菜美さんは、東日本大震災後、ap bank Fund for Japanのボランティアコーディネーターとして石巻で活動(石巻での活動は継続中)。今年6月に発生した竜巻被害は、実家から数十メートル先の話。現場に入り、ボランティアの受け入れとニーズとのマッチングを行う社会福祉協議会での運営サポートを行いました。「災害の種類によって、支援の必要性や役割が違うことが分かった。東北での活動を経験したボランティアも多く集まったが、経験が活きた面もあるが、災害の被害規模を比べる発言があったりとネガティブな面も見えた活動だったとの反省点もあったとコメントしてくれました。

 

企業に勤めながら、ボランティア休暇などの時間を有効に使い、繰り返し被災地での活動に足を運んでいる亀田博之さん。7月の九州北部豪雨で熊本県阿蘇市での活動を振り返り、「ボランティアに集まったはいいが、初めて泥だしや清掃を行う個人ボランティアが多かった。経験者の自分たちがグループに入ることができたから良かったけれど、いなかったらどうなっていたんだろう」と、作業現場でのリーダー役の必要性について語っていただきました。

 

(後半へつづく)

 

photo by Shoichi Suzuki